東京メトロ相手では、勝ち目のない裁判ーーー。
どの弁護士さんも、事故直後から相談に乗ってくれている修習生のMさんが当たってくださった何人かの弁護士さんも、友人たちが聞いてくれた鉄道関係者の人たちも、皆さん、同じ回答でした。
Mさんに聞かれたのは、個人で弁護士費用を20万、50万、…と支払ってまで(すでに治療費や入院費、あるはずの収入を得られない損失を受けているのに)「社会の正義のために訴訟も辞さずで立ち上がるのか。金銭的な、また、精神的、労力的な負担をしてまで、今後の社会に役立つような波風を立たせることを追及するのか」。決める時。ゆにが決めてくれたら、弁護士さんを探すよ、と言われました。
そこで、わたしの中でハッキリしたのは「社会を背負ってまで訴える」気持ちは無い、でした。ここまで自分でたくさん電話して、色んなアドバイスを一つ一つ聞いて、難しさともどかしさの中で、もがいたおかげですね。でも、結論から言うと、民事訴訟を起こすのではなく、民事調停という手段を選ぼうと思っています。
以下は経緯です↓
私の性格を知って、事の成り行きを心配したお友達Tさん(対話により、紛争の解決や対立の解消を支援する専門家)から、以下のようなアドバイスをもらいました。
「民事訴訟ではなく、民事調停を起こしては」と。
「へ? 訴訟と調停、何がどう違うんですか?」というとことから始まるのですが
裁判所のサイトには以下のように書いてありましたが
「判決で解決を図りたい」→民事訴訟
「話し合いで解決を図りたい」→民事調停
「えっと、つまり?( ̄∇ ̄)」という私に、「電話で話しましょう」とお忙しい中にも関わらず1時間超もお付き合いいただき、簡単に説明していただきました。以下、簡単に書いちゃいますと↓
民事訴訟→法廷で、裁判官が、双方が言い分を聴いてくれて〜。
公になるので、東京メトロも嫌がるのでは?
社会のためにも訴える気持ちでやるのなら別だが。
民事調停→非公開。なので企業も交渉に応じやすいのでは。
http://www.courts.go.jp/saiban/wadai/1806minzi/
調停員に個別に話を聞かれる。話し合いが合意に至らなかったら、
調停後、直接交渉か、訴訟を起こすか、という流れに。
裁判外紛争解決手続(ADR)の一つ。
民事調停なら、裁判所から東京メトロに出頭?勧告もしてくれる。
他に、弁護士会のADRというものもあるが(国民生活センターのADRとは別)
http://www.nichibenren.or.jp/contact/consultation/conflict.html
東京メトロに話し合いに応じるよう強制する力は無い。
「訴訟となると、金銭的解決か、謝罪か、そのいずれかか、その両方を求めるのが一般的。
そこで、ゆにさんが望んでいるような、今後のための意識や言動、行動を改めてほしいという申し立ては難しいのでは」とのこと。
へ〜、ほ〜、と電話で話を聞きながら「そもそも民事って?」の意味もよく分かっていないことに気づく…。裁判所で扱う事件は4つ:民事、刑事、家事、少年 だそう。
http://www.courts.go.jp/saiban/index.html
裁判所のサイトを見ながらお話を聞いていたら、以下の記載を見つけました。
民事調停とは→「裁判のように勝ち負けを決めるのではなく,話合いによりお互いが合意することで紛争の解決を図る手続です。 調停手続では,一般市民から選ばれた調停委員が,裁判官とともに,紛争の解決に当たっています」
http://www.courts.go.jp/saiban/syurui_minzi/minzi_04_02_10/
民事調停を知る人はみなさん「調停員さんのアタリハズレがあるんだけどね〜」とおっしゃいますが…
私の中では「勝ち負けを決めるのではなく」というワンフレーズにビビビッと来てしまいました。なんだか今の私が求めているものに近そう。
そしてTさんの「弁護士さんに頼まず、ゆにさんでも出来る。費用も安い。請求額が140万円以下なら簡易裁判所でもできる」という言葉に後押しされました。え?!自分でできるの? 自分でできるならやってみたい。勝ち目のない裁判に、修習生の身ながら、寝る間もない中、尽力してくれているMさんには本当に申し訳ないーと思っていた気持ちも、軽くなる感じがしました。
自分でやれるならo(^▽^)o と飛びついたわたしに、冷静なTさんが心配して「こうしたことに理解のある弁護士さんに一度相談された方がいい。司法書士さん(※簡易裁判代理権を持っている司法書士さん)でも代理はできる。どちらもいくらでやってくれるかは分からないけれど電話だけでもしてみてね」とおっしゃってくださいました。
Mさんにも相談しました。「調停案に拘束力を持たせるには両当事者の合意が必要で、そこは判決のように当事者同士が対立していて、合意がなくても判決が両当事者を拘束するのと大きく違います。つまり、東京メトロがいかなる調停案についても合意する見込みはかなり低いはず。結局、調停員とゆにが話あって終わってしまう、調停委員と東京メトロがどのくらいしっかり話し合うのか、とか、東京メトロが合意するか、についてはかなり疑問だな、と思うところはあります」と心配してくれました。でも、それを分かっていながらも、自分の経験として、やってみたいと思いました。東京メトロさんがどこまで調停員と話し合うのかというより「どこまで話し合わないのか」を身をもって知ってみたい。正義感からではなく、いつもの好奇心が勝ってしまいました(^_^;) わたしをよく知る友だちはみんなうなずいてくれると思いますが、、、経験してみたい!
そう言ったらMさん「自分でできて、さらに安く済みそうな感じであれば、失うものもないから、余計に腹が立つかもしれないけど、それはそれでなかなか経験できないものかもしれないから、民事調停でやってみるのがいいかもね」と。「その際に、一部請求(全体としてはもっと請求したいけどとりあえず治療費だけ、とか一部にとどめるということ)であることをしっかり明示しないといけないので、そのあたりは間違えないようにやりましょう。できる範囲で手伝うからね」と言ってくれました。
訴訟となると勝ち目のない裁判。でも…勝つってなんだろう。東京メトロさんに対して呆れている気持ちと、自分自身に蘇る恐怖と、「この先の未来」を考えると「メトロさん!このままでいいのか?!」という気持ちから、物申せるなら申したい。でも、社会を背負ってまでの正義感なんて無い。もちろん、金銭面も要求します。ダメモトで。ーーー そんなモヤモヤした状態から抜け出せるかなと思ったのが、「訴訟」ではなく「調停」でした。
「戦いましょう」と応援してくださった方には、肩すかしな感じかもしれません。それは本当に申し訳ないのですが、もう一つハッキリ気づいてしまったことは、わたしの中に「訴えてやる!」といった怒りや憤りといった強いものが湧いてこない、ということでした。なんでかなあと思ったら、わたしの根っこにあるのは「起きてしまったことはしょうがないよね」という気持ち。これがベースにある限り、そこから恨みや怒りや社会的意義を訴えるパワーは、湧いてこないみたい。これって「訴える」には弱いなあと。もともとの自分の性格が裁判に向いてない気もしています。わたしをよく知る人たちは、まさにそのことを心配してメールをくれていました(心配してくれてありがとう)。
大事な人のためなら熱くなれたのかもしれません。命に関わる事故だったら、もっと違ったのかもしれません。後遺症は出ると言われてはいるけれど(これについては後で後悔するのかな、しないのかな…と、揺れるところですが)今はピンときていません。事故直後「災難でしたね」とたくさんの方に心配していただいたのですが、「これって災難だったのかなあ?」と首をかしげているほど、今もその言葉がピンときません。起きてしまった当人になると、そしてなんとか命は生かされていると、こういう感覚になっちゃうのかもしれません。それに、今はまだ足が曲がりきらず伸びきらずなので、不安といっしょに事故のことに取り組んでいるものの、未来に目を向けると、3月、4月と徐々に普通の生活に戻り、いつものように楽しくワクワクする仕事や日々の出来事に気持ちが向き始めたら、わたしの性格上、そちらを最優先してしまうのは間違いない。とにかく、これでは力を貸してくれようとしている弁護士さんに申し訳ない気持ちしか出てこない。Facebookを通していろんなアドバイスをもらって、なんとなく弁護士さん探しからスタートしてみましたが、自分で色々電話すればするほど、「勝ち目のない」「難しい」を身をもって感じ、同時に、自分が求めていることはもっと違うこと、ということに気づけたのも大きいです。
ということで、早速、東京簡易裁判所に電話。2017年1月23日(月)素人でもできるという民事調停の申し立ての仕方を聞きました。気が早い(^_^;)?
「東京簡易裁判所のホームページの18汎用 http://www.courts.go.jp/tokyo-s/vcms_lf/30202026.pdf を使ってください」とのこと。「提出前に書き方を見てほしいと言ってくれれば見ますよ。鉛筆で書いてもらったら修正できますから。修正して3階でコピーしたものを提出してもらえばいいですよ」とのこと。「東京メトロの登記簿謄本も添えて提出してくださいね http://www.courts.go.jp/tokyo-s/saiban/l3/Vcms3_00000345.html 」
なるほどなるほど〜!と前のめりになっていたら「ご本人が提出して相談されたほうがいいので、焦らず退院してからでいいと思いますよ」とたしなめられました。だいたいのスケジュールイメージを聞いたら、申立書を提出したら、一週間以内に、担当から日程を決めましょうと電話がくる。1ヶ月〜1ヶ月半以内の間の調停日を決める。1〜2回で決まるか合意が得られない場合は打ち切り。という感じ。
次に、調停に理解のある弁護士さんを紹介いただき、電話。2017年1月26日(木)
とりあえず電話で、調停の実情や合意に近づくための書き方とかあれば教えてもらおうと気軽に電話をしたら、「退院されたら一度事務所にいらしてください。お電話では簡単にできる話でも無いので、会ってお話をしましょう」と言っていただきました。どうもみんなに「待て待て」と言われているようで(^_^;)、とりあえず入院中に魔の長電話〜という生活に一旦終止符を打ちました。
ということで、この先は、電車に乗れるくらい回復してからになります。申立書の書き方も全然よく分かってないし、そもそも定型書類や文書作成は私にとっては苦痛な作業でしかないし、申し立てたいことが、前回の絵日記に書いたくらいのぼんやりとしたことしかまだ見えてないし、やっぱり話をしてみて、弁護士さんへ依頼したほうがよくて、お金が同じようにかかるのであれば、あっさり調停もやめちゃうかもしれませんが、とにかく、現時点では民事調停を(できれば自分で)やってみようと決めました。
しかも今、「ありたい姿」がなんとなく見えてきそうで、もう少しもがきたいなと思っています。友人たちからの言葉が、かすかなヒント。「加害者のいない被害者」「東京メトロの人も、そんなふうにしか回答できないなんて可哀想」東京メトロの人だって、心ある人ほど、変だなと思いながら、でも業務を全うするために、人間の心をシャットダウンしているとしたら…なんて書いていると、そんなんで東京メトロと合意なんて甘いよ、と一蹴されそうですが。
でも、長い目で見て、修習生Mさんから聞かれた「社会に役立つような波風を立たせるか」という視点でみたとき、わたしのグラフィックファシリテーション(GF)という仕事は、幸運にも社会課題を扱う会議が多いので、裁判所でなくても、きっとチャンスはあるはず、とも思ってるんです。ここまで書いてきた文章の長さで比べると、調停の話がほとんどで、GFの話は突然出てきたわけですが、この先のわたしの人生を俯瞰してみると、裁判所にお世話になるのは2〜3ヶ月の出来事。それに比べて、GFの現場でのチャンスはこれからまだまだ続いていく。そう思うと、調停の経験は大事なプロセスなんだと思えるのです。それは入院生活で出会った80歳、90歳の人生の先輩たちから学んだこと。彼らから見たら43歳のわたしの今の怪我も「点」の出来事なんです(*^^*)。
「訴訟も、調停も、結果が同じなら、そもそも無駄なことしなくていいのでは」「怪我が治ったらあんなことやりたい、こんなことやりたいって考えていいんだよ」「もう十分がんばったよ」と言ってくれる友人たちの言葉にも守られながら、無理の無い範囲で、もうちょっともがいてみます。
長くなりましたが、以上です。